豚暦

豚に足跡なく月日あるのみ

ポケモンに対する文句(タイプ相性とか)

僕がずっと前から思ってることを話そうか。

ポケモンに対する文句(疑問)を片っ端から書いていきます。

 

○タイプ相性

・氷技が水タイプに半減

むしろ倍になるべきなのでは?魚を冷凍庫に入れたら死ぬでしょ。直感に反する。(第二世代での氷弱体化のあおりか。知らんけど)

 

・虫技がフェアリーに半減

どういう理屈なのか。対戦環境のバランス調整のために第六世代で導入されたのだから、せめて等倍、いっそ抜群でもよかったのではという気がする。

 

○第三世代以前のタイプ別の物理・特殊判定

・悪が特殊扱い

なぜ物理でないのか意味が分からない。

当時の悪技は「だましうち」「追い打ち」「どろぼう」「かみつく」「かみくだく」くらいのはず。どれも物理的な暴力。当時の悪タイプは概してとくこうよりも攻撃の種族値が高い傾向にあるのだし、物理技にするべきだったのでは。

 

・ゴースト技が物理扱い

直感に反する。幽霊がなぜ物理的暴力なのか。それだとシャドーボールはただのどっぢボールじゃねぇか。

 

○馬鹿みたいに贔屓されたポケモン

ゲッコウガとクソウサギ

技を出すときに、自分が出した技と同じタイプになる「へんげんじざい」「リベロ」のとくせいがぶっ壊れすぎている。せめて第八世代に入るときにでも、技を出したあとにタイプが変わるという弱体化の仕様変更があって然るべきだったのでは。

 

・クソウサギの存在そのもの

デザインが東京五輪の宣伝臭くてダサい(不思議なことにエースバーンかっこいいという人も多い。僕はヴォルテールもびっくりの寛容な精神の持ち主なので、そのような方々の感性を否定するつもりはありません。あくまでも個人の感想です)。

デザインはともかく、すばやさが見た目離れしたほど早いのはイミワカンナイ。

あと技範囲が直感に反しまくるほど広すぎる。正義のサッカー選手みたいなつらして、ゴミけったり(ダストシュート)、フェアプレイの精神の欠片もないこと(ふいうち)をしたり、ボールじゃなくて対戦相手にヘディングしたり(アイアンヘッド)、ボールじゃなくて選手を蹴ったり(とびひざげり)と、なんでもありである。せめてコンセプトを完遂しろよ……。

 

・ザシアン

攻撃力と素早さが馬鹿。攻撃が馬鹿高いのはコンセプトからして許せるにしても、素早さが異常すぎる。

あと、「ふとうのけん」をもって「剣の王」の姿になった時に、もとの姿から合計種族値が上がるのが解せない。タイプに鋼が追加され、「きょじゅうざん」を仕えるようになるだけで十分な強化でしょ。ギラティナさんなんてフォルムチェンジしても合計種族値が上がらないのにさぁ。。。

 

 

以上、思いついたことを書いてみた。

他にも言いたいことはあるが、今回は特定のポケモンへの悪口を書きすぎたので、「○○に強化がない」等の文句を書くとただの好き嫌いのえこひいきだと思われるので(実際にそう)、ここで止めておきたい。

 

 

KO大学嫌いな者に学歴昆布を飲ませたい

 

今、KO大学出身のマヌケが多いことを揶揄したツイートを行った某京大学の教授が叩かれているらしい。学歴差別だ、社会学者ともあろうものが何ということだ、云々。実にくだらないことである。

 

  学歴差別(厳密には学校歴だが)に関するくだらない言説の大量生産は、入試後の時期にまず起こり、その後も定期的に何らかの契機によって頻発する。

 よくあるのが、次のような流れだ。

  まずは、入試に失敗して滑り止めに不本意入学を果たしたバカガキが「なんで俺様がこんなチンパンどもと同じ大学に行かねばならんのだ」と嘆く。一方で、クソガキどもはポーカーのカードをひっくり返すようにセンター試験や過去の模試での点数でバトルを始め、入試談議に花を咲かせる。それを眺めるクソジジイどもが「どこの大学に行くかではなく、その大学で何を学ぶのかが大切なのだ」「点数バトルなど、つまらないからやめろ」「早くそのつまらない争いから卒業できたらいいね(笑)」などと正論を言ったりして馬鹿にする。

 どれをとっても「くだらない」の一言なのだが、そーゆーのは誰しもが通る道なのだからまぁ仕方ない。くだらないが。

 一連のくだらない合戦は存在自体が不快と言えば不快だが、その不快の中の最たるものが、「どこの大学に行くかではなく、その大学で何を学ぶのかが大切なのだ」系の言説である。今回はそれについて思うところを悪口雑言していきたい。

 そういうことを言う奴は、概して不本意入学組であり、自らの体験を踏まえたものだ。

「志望した国立大(駅弁じゃない)の入試に落ちた俺は、なんで俺がこんなクソ大学にとあやうくやさぐれるところだったが、いい仲間と先生に巡り合い、学問の面白さに気づき、人間的にも成長し、~~……」云々。そしてまた曰く、「入った大学で何をするかが大切なのだ。大学名や偏差値などといった、くだらないものに捉われ続けるような奴は人間的にもろくなもんじゃない(要するにクズですね!)(俺はそっちがわじゃないしw)」

 正論でないことはない。「いい人に巡り合えてよかったね。そうだね、そんな奴は人生損してるよね」と言えばそうなのだが、その論者は一つの変数を見落としている。運、それである。お前は、たまたま巡り合った教員がクソ教員(肌が合わない、F乱に順応してやる気がない、その他)でもそういえるのか? たまたま友達になりうる同級生が全員人物見識ともに取るに足らないような輩でもそう言えるのか? 無論、そんな中ででも、自ら交友を広げて畏友を探し、師たるべき教員を探し出してきたのであれば、そう言える資格はあるであろう。が、見ている限り、そうではなさそうなのが大半である。普通にその学部で生きていればお世話になる教員がよかったとか、そもそも周りの学生のレベルがちゃんとしていたとか、そういった幸運に支えられて、そいつらは「やさぐれることなく」「人間的に成長し」たに過ぎない。

 そのような幸運に無自覚で、しょうもない学歴コンプどもに対して道徳的優位に立ってお説教をしているのであれば、彼らもまたしょうもないウンコであると言わざるを得ない。

馬窩座「お前も歴史学者にならないか」

  私が12歳にして歴オタになったことは、最初の記事でも述べた通りである。

 

 今思い返すと、少し不思議なことがある。害悪オタクとして、或いは読書に励み、或いはYahoo知恵袋で論戦していたTeenagerの私は、「歴史学者」になろうと思ったことがなかった。そもそも、その発想自体が出てこなかったように思う。そのことについて、今回は適当に書いていきたい(いつも適当だが)。

 

 大前提として、そもそも害悪オタクの厨房たる私に「学」などはない。専門家が書いたものかどうか、は大して気にしていなかった(そもそもその発想すらなかったのであるから、救いようのない馬鹿である)。具体例を挙げよう。中三の時、川合康の名著『源平合戦の虚像を剥ぐ』を読んで「ふっ、おもしれー本」と感激した後に、平気で○沢○彦の本を手に取るような有様である(救いようのない馬鹿なので、高校に入っても大して変わっていない)。どんな馬鹿でも、同じジャンルの本を何冊も読んでいれば、多少は学者とかの固有名詞は覚える。図書館の本棚を眺めながら、「あ、この人、この分野の研究の有名な先生じゃん」ということは認識する知識はありながら、所謂「俗流歴史本」のようなものも平気で手に取って「なるほどなー」とか唸るようなクソザコである。(ゆえにTwitterとかでレベルの高い読書をしている高校生のオタクとかを見るとすげぇなーと思うと同時に慙愧で寿命が縮む)。

 

 このような豚に「歴史学者」になろうという発想を求める方が無理だろう。そもそも、「歴史学者」と「歴史作家」「歴史ライター」を同列に置いているのだから。無論、歴史学者という生物が普通は大学→大学院博士前期課程→大学院博士課程という経路を経て錬成されるという基本的なことすら知らない。アホである。

 

 専門家とそれ以外を峻別する能力がないクソザコ中高生でも、「歴史に関わって何かを書く職業」になりたいという希望を抱く可能性はあるはずである。そのあたりはどうだったのか?

 思い出してみるに、「あぁ~○沢になりてぇ~」などと考えたことはない気がする。

 そもそもの大前提(2回目)として、「将来」なるものを、そもそも考えていないというのが正直なところである。「将来の夢は何ですか?」という、労働者候補生養成機関(表向きはガキの可能性を無限に開く設定の)たる学校お決まりのクソ質問に対しては、「学校生活でいろいろ学んで、そのうち考えたいと思います♡」と逃げを打つのがデフォだった。とりあえず、目の前にある宿題を終わらせ、目の前に迫る試験で雑兵どもに後れを取らない(あわよくば旧帝大に滑り込む偏差値に持ち込む)ことのみが将来設計の、小心翼々たる「真面目な生徒」である(不真面目だったが)。それ以上の「現実」などはどうでもよい。とりあえず文学部に入ることが希望。何を専攻するかは、「大学生活でいろいろ学んで、そのうち考えたいと思います♡」というわけである。

 

 大学に入ってからは、どうか。「歴史学者」になろうと思ったか否か?

 実際のところ、「何も考えていない」ままである。1年生の時に先生(後にゼミの指導教員となる)と雑談していた時、私が何やかんや変な本を読み散らかしていることを知っていた先生から「君、研究者になっちゃったら?」と言われたが、戯言として受け流した(そのくせその言葉はちゃんと覚えているのである)。

 前々回の記事母校への悪口と総括 - 豚暦 (hatenablog.com)でも書いた通り、ゴミゼミに入ってからは歴史へのやる気を本格的に喪失し、人文社会科学の本棚と謎サークルを放浪する通学ニートに成り下がる。やがて訪れた、「就活」という呪われた言葉が現実味を持ちだす時期は、仮に「歴史学者」を目指すならばさっさと大学院進学への具体的検討を進めるべき時期でもある。ルンペンプロレタリアートになるくらいならインテリゲンチャたる学者になる方が望ましいとは思う(働きたくないだけ)が、そもそも直近の卒論ですら「やりたいこと」が迷子なのに、どうやって専門の中○史の院に行くねんという話である。

 結局、「歴史」などは、大して「好き」ではなかったし、「やりたいこと」でもなかったのである。

 

……と纏めると、突っ込みが出るだろう。

ツンデレやろ」と。

 

 必ずしもツンデレでないというわけではないとは思うが、やはり歴史など大して好きではないのだと思う。

 世のオタク(実際に学者になるような人を含めて)には、熱量のえげつない人がいる。例えば、「愛」でなんでもやってのける人である。「愛」で頭がいっぱいで、「愛」のためには言語(古語、崩し字なども含む)も学ぶし各地に旅行もするし、(多少人見知りであろうが)人脈もドシドシ広げる。そういった人たちは、「やりたいこと」「好きなこと」への熱量がデカく、その熱量が行動の原動力になりうる人である。

 それに比べると、私は「熱量」が全くない。無論、異常に興味を持つ物事はあれ、それに対する「欲望」が決定的に欠けている。ゆえに、多少興味があっても「崩し字を読めるようになるぞ!」と思うよりは「刊行史料で何とかなりそうなところをやっていくか~」になるし、「現地に旅行に行くぞ!その金ためるために死ぬほどバイトするぞ!」となるよりは「働きたくない。そもそも行ったところでやろ」となる。その上、やりくりでなんとかなる範囲を見定めて何とかするので、それ以上の欲望を伸ばすに至らない。小心翼々たる小才子である。そのくせ、「欲望」や「興味」が全くないわけではないので、「やりたいこと」はないくせに、「やる気」は持て余しがちとなる。

 極論すれば、学者の適性がない以前に、人間に向いていないのである。

 

 

(以下余談。行論の都合上、書かなかったところを。歴史学者にはなろうと思わなかったが、中学生の時、歴史小説家にはなりたいと思わなくもなかった。というよりは、歴史小説を書いてみたいと思っていた。歴史小説を読みながら、「なんでそこでそんな人物造形するんだ!」「そんなテンプレな凡将扱いするのは実態からして不適切やし、そもそも面白くないやろがボケ!」「軍記物の勝者の価値観そのまま再現するとか貴様には歴史小説家としての矜持がないのか!」などという不満を持ちまくっていて、「俺ならこう書く。その方が面白いぞ(謎の自身)」などと不逞の野心を伸ばしていた。高校生になってから歴史小説はあまり読まなく(というよりも、読むには読むが昔ほど楽しめなく)なる。大学生になると、書くのに十分な時間と環境があり、短いのを何作か書いたのだが、そのころには歴史小説をほぼ読まなくなっていて、実質的には歴史小説など好きではないまま、中学時代の趣味の亡霊にひきずられていただけと言ってもよい。ここでも「欲望」の欠如により、「賞に応募するぞ!」などという発想には至りもしなかった)

戦国vsツンデレvsダークライ

 歴史オタクと言うのは実に不愉快な愚物が多い。

 

 いきなり差別かよと言うなかれ。いや、言ってもよろしい。導入に悪口を用いることを許し給え。

 史料の読めない(読めなくはない人もいるが)、研究者に非ざるのオタクは、歴史学者の排泄物を食べて、新たな排泄物を出してその彩を競うが如きものである。そのようなオタクは、初心者と言うよりは中級者であり、しかして初心者を馬鹿にする。

 その「初心者」とは何者がと言えば、史料や出典の何たるかを意識することもなく、歴史の面白い話や流れをあまた集めて楽しんでいる、他者に対する害意が相対的に少ない者たちであると言える。かかる「初心者」のすそ野が最も広い分野は、やはり戦国時代であろう。

 ここ数年で、南○朝時代や○町時代の人気が急上昇してその分野の「中級者」が跋扈しているが、その裏で戦国時代の人気は根強い。今や、戦国時代や戦国武将(有名からマイナーに至るまで)についての「中級者」向けの一般書も多く出されている。細分化した研究は、各地域武将のオタクたちのニッチな欲求を満たしつつある。一方で、「中級者」が蛇蝎の如く忌み嫌う「俗流歴史本」はもっと多く再生産され続けている。やはり、戦国の「初心者」人気は甚大なものがあると言えよう。

 オタクの通弊として、間口の広い、「初心者」が好きな有名どころはやや馬鹿にする傾向がある(その弊を自覚すると、ベタの凄さを改めて実感して回帰したりするのだが)。そして、戦国時代は、そのように馬鹿にされやすい分野である。マイナー武将とか「学問的意義」が大きいニッチ分野に非ざる、上○○信や武○○玄といった有名な戦国大名の政治史とかになればなおさらである。

 

 さて、自分のクソ話である。私は○○史学徒になりたての時、なんと戦国時代をやろうとしていた。しかも、有名どころの大名を主題に、である。当時の私の立ち位置は、害悪極まりない「中級者」のようなものだと思ってもらって差し支えはない。かかる害悪が、なぜベタに有名大名をやろうとしたのかについて、思い出したことを書いていきたい。

 そもそも、私は祖国の歴史がやりたくて大学に入ったわけではない。とりあえず文学部に入り、文学をやるか西○史をやるか○本史をやるかはゆっくり決める腹積もりであったが、頭が悪すぎて入試に失敗。滑り止めで入ったところは、出願時点で学科を決めておかねばならず、適当に○本史にしておいたのだ(いや、英語がダメダメなので万一西○史に行く羽目になって死んだらどうしよう……と恐れていたが故での選択であり、全くの適当ではないのだが)。

 「○本史専攻」という肩書は、それ自体がスティグマであったのである。忌々しきかな、○本史! もとより○本史よりも世界史の方が面白いと高校時代に開眼していた私は、腹立ち紛れにヨーロッパ史の本を読みまくった。もっとも、アンチ○本史といってもツンデレなので、その分野の本も結構読み漁ったのだが。べ、別に戦国時代なんて(ry

 入学時点で専攻が決まっているといっても、いきなり史料を読む授業があるわけではない(何のために入学時で専攻分けてるんだせっかくなら初手から専門教育施せやクソFら以下略)。1年次は語学と必修の教養科目が専らであり、2年時に若干の史料を読む科目があり、3年次にようやくゼミである。

 さて、やさぐれて外国史にかぶれていた私である。好きなゼミを選んでね♡

○○史:先生がなんか好ましくないしそこまで興味ないからパス。

○○史:知識量的には一番がここか。中学時代の趣味的にはここ一択。

近○史:思○史にだけは興味あるが、農村の史料とか読まされたらたまらないからパス。

近○史:こちらも知識量はあるつもりだし興味もあるが、古文漢文が読めない連中が大量流入してきそうでなんだかなぁだよねぇ。

はい、消去法。

組分け帽は少し迷った末に、愚リフィンドール!(○○史)と叫ぶのであった。

 

 いくら適当に選ぶといっても、志望理由書を出さねばならん。さぁ、適当に書くぞ!とて書く。そのためには、害悪オタクのオタク遍歴を想起せねばならぬ。

 我十有二にして戦国オタクになり、「初心者」の例に違わず、出典も史料も何も考えずに面白い話と知識をかき集めた。十有五にして、多少はまともな本も読むようになる(「初心者」から害悪「中級者」への飛躍)。特に印象に残ったのは光成準治氏の『関ケ原前夜 - 西軍大名たちの戦い』である。殊に上○氏や宇○多氏が、豊○政権下の大名となってから、配下の在地領主(かつての国衆など)や有力家臣を再編してある種の「集権化」を図っていく流れには感銘を受けたものだ(当時の読みである。本は今手元にない。間違っていても知らん)。

 中学から大学に飛び級していれば、幸せな○○史学徒になっていてもおかしくなさそう(母校では無理だろうが)だが、十有五を過ぎれば、関心は近代史に移って戦国時代から遠ざかり、十有八になっては世界史を愛好し始める。

 ヨーロッパ史において、特に興味を持ったのは、中○から○世に移行する時代である。強力だった諸侯や身分制議会はその盛威を衰退させ或いは変質させ、強化された君主権の下に再編されてゆく。変質した貴族層は、官僚や将校として、君主を支え、かつ自らの地位もそれによって新たなものとして盤石にする――。(これも当時の認識である。細部が間違っていると文句を垂れるなかれ。「歴史」と「認識の歴史」を混同するのは害悪オタクどもの通弊である)

 ここに於いて、厨房の趣味と大学坊主(長髪だったが)のお勉強が握手する。○世ヨーロッパにおける所謂「主権国家」の成立は、戦国大名の○世大名化への過程とある意味符合してはいないか!?(符合じゃなくて牽強付会だろう、という突っ込みは妥当であるし、あまりにも単線的で幼稚な歴史観であり万死に値すると言われれば返す言葉はない。が、国衆を包含する戦国大名領国と、中近世ヨーロッパの複合国家=礫岩国家を比較する視座は専門家も持っていたりはするので、100%の的外れではないと信ずる。尤も、「俺が考えた最強の○○」の域を出ていないのは言うまでもない)。

 そんな問題意識(?)を背景に、○○史ゼミへの志望理由書を適当に書きあげた。

 そして志望ゼミに入り、一瞬でやる気をなくす過程は前回のクソ記事で書いたから繰り返さぬ。ここでは、戦国時代というテーマを放棄するまでの流れを簡単に書こう。

 最初にやろうとしたのは、戦国大名の軍制であった。が、ゼミへのやる気を失うとともに実証史学そのものへの関心が完全に薄れ、興味は専門とは関係のない思○史に向かった。その流れで、もともと持っていた「比○史(笑)」への問題意識?は忘れて、家臣の大名への忠誠の思想とはどんなものかという、実証のやりようのなさそうなテーマで発表してお茶を濁せないかと考えた。そして『戦国遺文』『○○県史 史料編』とかの該当しそうなところを読みまくって史料の文言のデータを抽出・集計、その結果、「文言の違いによって、特に有意な偏りはない(あってもごくわずかで、どう考えても論文にはならない)」ことが判明。ゼミへのやる気が完全に失われたことも相俟って、(中間レポートと発表1回をもって)惜しげもなくこのテーマを捨て去り、戦国時代から撤退したのであった。

「二度とやらんわこんなクソゲー」とて戦国時代との縁を切ったつもりだが、面白そうな新刊を見つけるとついつい読んでしまうし、昔最も関心があった大名に関連する(安い)新刊が出ると、義務感で購ってしまう。要するにツンデレである。

 近々、義務感で買わないといけなさそうな新書が新刊で出ると聞いて、思い出したことをつらつら書いた。ブヒィ。

母校への悪口と総括

今から母校たる大学への悪口を言います。ルサンチマンヘイトスピーチです。

 

一応、「名門私大」を自称しているらしい。

額面の偏差値はそこそこあるように見えても、学生の中身はさまざまである。

よくある入試方法別に分けると、こんな感じだ。

 

まずは一般入試組。これが二つに分かれる。

一つは、志望校に落ちてきた人。要は学力が足りなかったか、自分の学力を過信したバカである。

もう一つは、志望してきた人。性格と想像力に難がある人っぽく言えば、数学のできないバカである。

この二種類のバカは、他の入試方法で入ってきた馬鹿をバカにしがちである。馬鹿だから仕方ない。なお、私もこの部類だ。馬鹿なので許してほしい。

 

次に、よくわからない入試方法組。制度をよくわかっていないが、AOとか指定校とかなんとか推薦とかいうあれである。高校で習い入試で用いる通常の知識を有しないバカである。

 

そして、内部進学組。高等部から上がってきた人と、系列校から上がってきた人がいる。

前者は通称ナイバー。中等部からの者(ディープナイバー)と、高等部からの者がいる。たぶんディープの人の方が多い印象。彼らは幼少期にガッツリ勉強し、内部校では独特のカリキュラムで学んできた者たちだ。一般入試組が当然のものとして身につけている高校科目の基本的な量産型知識の定着は怪しい反面、謎の知識やスペックを持つ者などがいて個性豊かである。文化資本のある家の者も多い。必ずしも軽々しくバカ扱いはできない一方、留年率は高い印象がある。

系列校出身者は、人物見識ともにナイバーよりもレベルが低い傾向にある。こっちは軽々しくバカといっても差し支えないだろう。

 

「入試方法で差別するのはクソ」というのは、耳に胼胝ができるほど聞く話だ。それは当然で圧倒的に正しい。しかし、実際にバカが多いのだから仕方ない。見識で馬鹿にした奴に、たまたま入試方法の偏りがあったというだけである。逆ではない。(もちろん馬鹿でも、いい奴はたくさんいる。それを否定する程偏狭ではない)

 

さて、そのバカの実態である。

私が馬鹿呼ばわりできるのは、私が知っている範囲内である。今回の場合、具体的には○○史ゼミだ。大学全体を「F乱」呼ばわりするのは憚られる(立派な教員も、入試方法問わず立派な学生もいるので)が、自分の見た範囲内であれば、文句はあるまい。

 

 

このゼミは20人程度の大所帯である。輪番で各々の卒論に関連するテーマを発表する。

この発表は、馬鹿がやると、レジュメの日本語がそもそも日本語になっていなかったり、「お前意味わからずに難しい言葉を使っているだろ」という場合が多い。聞くにも堪えぬクソ発表を聞いていると、このゼミに入ったことに後悔し、何のために勉強して大学に入ったんだろう、と虚無モードになってくる。

ところが、教員はクソ発表にあまり突っ込まない。基本的ににこやかである。

人徳があるのはいいことだ。女子学生には慕われている。研究室に泣きにくるという女子もいるとか。

が、指導する気はあまりなさそうだ(研究室に指導を乞いに行った人には指導するであろうが)

たちが悪いのは、思いついたときに、たまに「指導」をすることだ。基本的にターゲットになるのはバカな男子学生だ。先生の虫の居所が悪い時は、そのクソな発表のクソさを容赦なく指摘する。それ自体は悪いことではないが、学生の性別や気分によってやったりやらなかったりというのはどうなのかと思う。

 

ゼミ生が全員馬鹿と言う訳ではない。そこそこ頭がいいのもいる。

が、こんなゼミである。頭がいい奴は、要領よく発表を切り抜けるだけで終わる。聞くに堪える発表はクソ発表に比べると清涼剤にはなるが、それ以上にはならない。

 

このクソゼミのクソ発表を聞くのは苦痛で、私は最初の2,3回で早くもゼミが嫌になった。羽化したセミがすぐに死ぬように、数週間でゼミへのモチベも死んだ。真面目に発言する気もなくなった(ここで発言しまくって無双し、ゼミを修羅の道に叩き込めば、こんなところで愚痴を書く必要もなかったのだが)。自然、教員へのヘイトも募る。指導を受けに行く気にもならない(これもまた失敗なのだ。優等生風に正論を言えば、大学は「教えられるところ」ではなく「学びに行くところ」だからである)。幸か不幸か、相対的に頭がいいことになる私は、適当にやってもゼミ発表は切り抜けられるから、適当にやって終わらせた。クソ学生である。

 

かかるゼミで○○史への興味も消え果て(むしろやりたくなくなった)、他学部の授業、サークルでやっている社○学、専門分野外の文献の乱読で、○○史から遠く離れることに快感を覚えるようになっていた。やはりクソ学生である。

 

そんなことをやっていても、卒論は書かねばならない。

 

ゼミに入った時にある程度定めた時代・地域の文献や史料を読み進めて、半期に一度の発表を適当にやった。が、4年生の前期が終わると、突然、やる気(もとからないのだが)がなくなった。こんなテーマ、やめじゃ、行き詰まったし、面白くないし。特に教員に指導を受けたわけではないので、教員に断りもなしに投げ出した。

 

ちょうど夏休み前、サークルの後輩に貸与していた古典が返却された。たまたま、このころ気になっていた学者の愛読書がその古典だったこともあり、夏休み中に唐突に思いついた。

あ、これで卒論書こう、と。

 

夏休みが明けて文献を集めて読み進めていき、10月ごろのゼミの発表で、さも当然のように、時代も内容もガラっと変わった発表を適当に行った。特に教員からもゼミ生からも突っ込みがなく、水を打ったような無関心に包まれながら、発表を終えた。

 

後は適当に書くだけだ。

 

んで適当に書いた。この文章みたいに。(なお、この文章は本当に適当に書いている。悪文を批判するのはやめてほしい)

 

んで出した。そして口頭試問である。

ゼミの教員と、他の教員Aの二人体制である。

Aは言った。「君、読書が好きかね?」

何のこっちゃと思ったが、所以は分からなくもない。参考文献に政治学の本が入っていたり、注釈で「M.○ェー○ーの顰に倣い~」などというふざけた文章を書いていたりと、史学的な実証はする気がないのに引き出しだけは無駄に豊富だからだ。

そして何やかんやの問答が終わりに差し掛かると、ゼミの教員は言った。「読書量と文才で書いた卒論だね」。たぶんあってる。ろくに実証的なことはやってないが、無駄知識とレトリックで論をくみ上げているクソ卒論なのだから。だが少なくとも、読める日本語で文章を書いてるだけでも、他のバカどものクソクソ卒論にはコーナーで差をつけている。彼らから留年生の山を出さない限り、私が卒業できないことはまずないだろう。

(後にある人から聞いた話では、別の大学の面識のない先生が、私の卒論と本名を把握していたらしい。訳がわからない)

 

みんな単位は足りているし、たぶん就職も決まっているのだから、留年を出して恨みを買いたくもないであろう。もう一年指導するのも面倒だろうし。

ゼミ生全員、めでたく卒業である。

 バカもウルトラバカも、等しく学士(笑)、じゃなくて学士(文学)になったのだ。

 

【おわりに】

ここでヘイトスピーチは終わろうと思う。

なぜこんなバカなものを書いたかと言うと、以前「お前は卒論を書いているから根性がある。嫌いな教員の研究室で卒論に向き合って鍛え上げられた根性である」という風に褒められたものの、残念ながら事実に反すると思ったからだ。教員の研究室には一度しか訪れていない(しかも女の子の付き添いとして)し、書いたものも適当極まるもので、根性のこの字も発揮していなければ、鍛えもしていない。そんな豚チックな話を祖述するにあたって、せっかくなので母校への負の感情も放出しておこうと思い、このクソ文章を書いた。

見ての通り、これは「馬鹿」「バカ」(表記を統一するのもばかばかしいので、漢字変換で出てくるままに任せた)を連呼する、偏狭な文章である。お前友達いないだろ、とか言わないでほしいが、必ずしも多くはなかったのは事実だ。「馬鹿だけどいい奴」ともっと仲良くしつつ、学問上でいじめ倒す、くらいの方が有益な学生時代を送れたであろう。

……と、適当な文章で反省会を開いても仕方あるまい。偏狭な文章は、偏狭なままで終わるべきだ。ばーか♡ばーか♡

だが、最後に大学の名誉のために言っておこう。

大学のトイレはめちゃくちゃきれいである。学生に最高の排便環境を提供してくれたことには、どれだけ感謝してもしきれない。

(ある戦犯曰く、「愚痴は曇る、感謝は晴れる」)

 

クソガキの誕生 ブタ・ヒストリー(仮)

 男がするという自分がたりというものを、美少女の私もしようとおもって、するのである。

 

 小学3年生の頃の私にとって、歴史とはこの程度のものであった。

「歴史? ケーキの作り方とかのことですよね?」

 歴史とレシピを混同していたのである。

 まだ社会科で歴史を習っていないのだから、仕方ないと言えば仕方ない。それに、そのころ、歴史と何らかの関わりを持つこともなかった。戦国無双信長の野望といった歴史を扱ったゲームに触れることもなく(未だにプレイしたことがない)、歴史を扱ったドラマに親しむこともなかった。「新選組」という言葉を聞いたことはあったが、「新鮮な魚をさばいてそう」程度の認識(?)しかなかった。

 ところが、小学6年生になり、社会科で歴史を習うようになって、唐突に歴史への没入が始まった。その時の担任の先生は、厳しいながらも授業が上手かった。どの授業も面白く、全ての教科の成績が上がった。なかでも、その先生自身が歴史好きだったためもあってか、歴史の授業は抜群に面白かった。初回の縄文時代の授業の時点で面白く(中学、高校での先史時代の授業が死ぬほどつまらなかったのと対照的である)、家に帰ってからも資料集の該当ページを読み漁り、かつインターネットでイルカ狩の方法についてググり倒した。

 先史時代においてさえこれである。歴史時代に入って面白く感じないわけがない。聖徳太子源義経の話などは特に面白かったが、中でも白眉はやはり戦国時代であった。そのころには、授業の外ででも、歴史に関する情報を仕入れまくるようになっていた。好きな戦国武将についてググり、逸話をかき集めるのはもちろん、図書館にも通うようになった。元来、読書はさして好む所ではない。図書館とは縁遠い生活を送っていた人間が、俄かに親に図書館に連れていけとせがむようになったのである(図書館は校区外にあるので、一人で行くのは校則違反である。もっとも、道が分かるようになってからは校則を破りまくった)。学習漫画や児童向けの伝記(講談社火の鳥なんとか文庫や、「嵐の中の日本人シリーズ」など)を片っ端から読み漁り(但し興味のある時代に限る偏食である)、児童書の歴史の棚でネタ切れになれば、通常の歴史の棚にも突撃した。無邪気なクソガキの誕生である。

 

 中学生になって、新たに歴史小説を読むようになった。今まで図書館で素通りしていた小説の棚に、歴史人物の名前を冠した本が大量にあることに気づいたからである。新たなフロンティアを開拓したクソガキは、子供向け伝記の延長で歴史小説を読み漁り始めたのだ。さらに、ブックオフの文庫本コーナーに歴史小説があるのも発見し、そこに小遣いを蕩尽するようになった。特に、PHP文庫の歴史小説をかき集めた。戦国武将の名前を冠した小説であるため、見つけ出すのが容易であったからだ。今でこそ、マイナー武将の伝記が読み切れないほど大量に刊行されているが、当時はそうもいかない。ネットショッピングサイトで人名を検索すると、真っ先に出てくるのがそのような歴史小説だった。おおよそ中学時代は、著者が専門家か非専門家か、伝記か小説か、の違いは一切問わず、ただただ知識欲の赴くままに読み漁っていた。

 本を読むだけではない。言論活動(?)にも取り組み始めた。主戦場は、Yahoo知恵袋である。数ある歴史についてのしょうもない質問に対して、しょうもない史論をぶんなげて楽しんでいた。さらに、Yahooブログでも好き勝手な史論を書き散らした。「武田勝頼は俺様至上主義、北条氏政は北条氏至上主義、上杉景勝は謙信公至上主義である」といったような中学生並みの比較論を、自信満々に書いていたのである。知識が付き始めて賢くなったと思いあがっているクソガキの議論である。ろくでもない黒歴史以外の何物でもない。得られたものは、PCのタイピング能力くらいであろうが、主観的には非常に楽しいものであった。(なお、Yahooブログは2020年にサービスが終了し、黒歴史時代のブログ史料は湮滅している。Yahoo知恵袋の史料は探せば出てきてしまう)

 

 そろそろ書いていて面白くなくなってきたので、一旦この辺で擱筆しよう。気が向いたら高校以降についても書くかもしれない。知らんけど。レオポルト・フォン・知ランケど。