豚暦

豚に足跡なく月日あるのみ

KO大学嫌いな者に学歴昆布を飲ませたい

 

今、KO大学出身のマヌケが多いことを揶揄したツイートを行った某京大学の教授が叩かれているらしい。学歴差別だ、社会学者ともあろうものが何ということだ、云々。実にくだらないことである。

 

  学歴差別(厳密には学校歴だが)に関するくだらない言説の大量生産は、入試後の時期にまず起こり、その後も定期的に何らかの契機によって頻発する。

 よくあるのが、次のような流れだ。

  まずは、入試に失敗して滑り止めに不本意入学を果たしたバカガキが「なんで俺様がこんなチンパンどもと同じ大学に行かねばならんのだ」と嘆く。一方で、クソガキどもはポーカーのカードをひっくり返すようにセンター試験や過去の模試での点数でバトルを始め、入試談議に花を咲かせる。それを眺めるクソジジイどもが「どこの大学に行くかではなく、その大学で何を学ぶのかが大切なのだ」「点数バトルなど、つまらないからやめろ」「早くそのつまらない争いから卒業できたらいいね(笑)」などと正論を言ったりして馬鹿にする。

 どれをとっても「くだらない」の一言なのだが、そーゆーのは誰しもが通る道なのだからまぁ仕方ない。くだらないが。

 一連のくだらない合戦は存在自体が不快と言えば不快だが、その不快の中の最たるものが、「どこの大学に行くかではなく、その大学で何を学ぶのかが大切なのだ」系の言説である。今回はそれについて思うところを悪口雑言していきたい。

 そういうことを言う奴は、概して不本意入学組であり、自らの体験を踏まえたものだ。

「志望した国立大(駅弁じゃない)の入試に落ちた俺は、なんで俺がこんなクソ大学にとあやうくやさぐれるところだったが、いい仲間と先生に巡り合い、学問の面白さに気づき、人間的にも成長し、~~……」云々。そしてまた曰く、「入った大学で何をするかが大切なのだ。大学名や偏差値などといった、くだらないものに捉われ続けるような奴は人間的にもろくなもんじゃない(要するにクズですね!)(俺はそっちがわじゃないしw)」

 正論でないことはない。「いい人に巡り合えてよかったね。そうだね、そんな奴は人生損してるよね」と言えばそうなのだが、その論者は一つの変数を見落としている。運、それである。お前は、たまたま巡り合った教員がクソ教員(肌が合わない、F乱に順応してやる気がない、その他)でもそういえるのか? たまたま友達になりうる同級生が全員人物見識ともに取るに足らないような輩でもそう言えるのか? 無論、そんな中ででも、自ら交友を広げて畏友を探し、師たるべき教員を探し出してきたのであれば、そう言える資格はあるであろう。が、見ている限り、そうではなさそうなのが大半である。普通にその学部で生きていればお世話になる教員がよかったとか、そもそも周りの学生のレベルがちゃんとしていたとか、そういった幸運に支えられて、そいつらは「やさぐれることなく」「人間的に成長し」たに過ぎない。

 そのような幸運に無自覚で、しょうもない学歴コンプどもに対して道徳的優位に立ってお説教をしているのであれば、彼らもまたしょうもないウンコであると言わざるを得ない。