豚暦

豚に足跡なく月日あるのみ

史料は飼料にならない

 

前回(大学で学ぶ歴史(笑) - 豚暦 (hatenablog.com))の続き。

 

2年生になって、ようやく史料を読む授業が始まる。たいていの教員は外部から来た先生だった。取った授業は以下のようなものだったと記憶してる。

・中世文書の崩し字を翻刻する授業。六国史のどれかを読む授業。これらは史料を読み、かつ先生が文書様式や内容を説明するタイプのもの。

鎌倉時代に成立した歴史書『○練抄』を読む授業、近世文書を読む授業、近代の史料を読む授業など。これらは割り当てられた史料について学生が発表するもの。

 ようやく、専門っぽくなってきた。これらの授業は普通に勉強になった(母校の悪口を言うのが趣味の私でも、評価するものは評価するし、感謝するときはするんである)。

今思うと、これが大学でやった「歴史」のピークだったと思う。おそらく、このあたりの「スタートライン」を越えて、自ら史料の海を漁るようになってからが、学問としての歴史の始まりになるのだろう。

 

しかし、それ以降、私は完全にやる気をなくしてしまう。

 

「史料を読む」ことには挫折しなかった(崩し字は苦手なままだが)

「高校までの歴史」と「大学で学ぶ歴史」の間の断絶、あるいは「物語としての歴史」と「科学としての歴史」の違いに打ちのめされるようなこともなかった。

3年生になったら、必修の語学の授業からも解放される。あとは、鬼滅の付焼刃である史料を読む力を駆使して、好きなことを好きなように研究して卒論を書けばよいのである。

 

 3年生になった私は、消去法で○○史のゼミに入った。そして、2、3週間と経たないうちにやる気をなくしてしまう。このゼミは学生が輪番で卒論につながるテーマの発表をするものだ。たいていはクソな学生の発表を聞き、それ以降のコメントなどでの議論はほぼなく、教員からの突っ込みもあまりない。無益である。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い精神で、入学後から徐々に「日本史」への情が薄まりつつあったやる気の喪失は決定的となる。

 3年で必修の専門関係の授業には、他大学の教員が受け持つ、サブのゼミのようなものもあった。こちらは史料を学生に割り当てて発表させる授業である。こちらは先生が割と容赦なく突っ込みを入れるので、おそらくゼミ本体よりも有益だった。

 

 

 私の史学徒としての生命は、3年生になるとともにすぐに朽ち果てたといってもよい。「ゼミがクソでやる気をなくした」と言えばそれまでで、その経緯は前の記事母校への悪口と総括 - 豚暦 (hatenablog.com)で書いたが、今回はそれ以上の要因について自己批判?をしたい。

 まず、これまで書いてきたように、私が有益と評価している授業は、たいてい「課題として与えられた」史料を読むものであった。内容を理解し、その史料に関連する研究を調べ、上手いこと纏めれば評価される。実際の学力はカスでも、この動物園の中では相対的に優秀なことになってしまう私はそうやって乗り切ることができてしまった。なるほど、「史料」は読めるようになったし、「先行研究」は多少引っ張ってこれるようにはなったであろう。しかし、それは史学徒として必要な2つの能力を欠いたまま生きていたことを意味している。

・まず、適当にやっても評価されるため、課題の史料を読みこむことに専念すればよく、他の史料を多く漁ることはしないでも乗り切れてしまう。史料に関する知識や史料の探し方が身についていない。

・さらに、これまた適当にやっても評価されるため、「先行研究」は、図書館の本棚を適当に眺めてそれっぽいのを片っ端から開くという野蛮極まる方法で調べるだけで事足りてしまった。雑誌論文など先行研究をちゃんと調査できる能力、必要とあらばよそから取り寄せたりする能力・方法は全く身についていない。

 史料を探す能力と先行研究を探す能力。この2つの能力が身についていないだけで、史学徒としては落第である(額面上の成績はそこそこ優秀だったが)。今すぐ自○すべきレベルである。

 

 そして、課題の史料からスタートする習慣が身についているため、「卒論では自分で好きなことやっていいよ♡」と言われた時にどうするかが問題となる。前の記事で書いた通り、既にやる気を失っていたから、「何かを研究したい」という情熱は失っている。それでも何かを「研究」しないと卒業できない。そして「研究」とは「実証」であると心得ていた私は、「実証したいことがない史学徒」という意味不明な生物になっていた。そして、課題の史料から何やかんやして発表することになれていた私は、何か史料を見つければそこから何か始められる(というか、やる気がない以上、そこから始めるしかない)のでは?と思うようになっていた。やる気の喪失は、先行研究なり既存の文献への「文句」などから「課題」を見つける意欲を完全に奪い去り、いきなり史料に飛び込ませた。「実証」したいことがないまま、おかしくなりそうなほど情報過多の史料集(中学生の時に好きだった分野に関連するもの)の海に飛び込むことになる。そして無理やりテーマを作った(ある文書様式における文言の違いを数量とともに比較して何が言えるか)ものの、実際に調べた結果が「何も言えない」に終わり、完全に行き詰まることになる。そして、卒論提出3ヶ月前にテーマを完全に変えて、「実証」ではなく「論理」の話に持ち込んで無理やり終わらせるという蛮行で事なきを得る。

 

 史料が読めるようになっても、そして仮に「大学で学ぶ歴史」は何かを心得て「実証」マインドを得ても、「何かを研究したい」という情熱がなければどうしようもない。世間一般の「勘違いして」史学科に入る人たちは、自分が「情熱」を注いだ人物・物語に対する欲望とは乖離した「実証」「史料」「科学」の壁にぶつかって粉砕するらしい。私は「史料」を読んで「実証」せねばならぬことは知りつつも、環境によってやる気をなくしたことも相俟って「情熱」らしきものが完全にお留守のまま、「実証」せねばならぬという強迫観念に捉われて迷走した。

 

迷走したことについてだらだらと書いていたら文章と論旨が迷走してしまったので、この記事はおしまいにします。