豚暦

豚に足跡なく月日あるのみ

社会科が得意なのに反社なんですか?

 何の因果か、私は十有一にして歴史オタクの道(腐れ外道)に足を踏み入れた。それまではどちらかというと理系科目の方が好きだったのに。そして何より、小6になるまで、社会は苦手科目だったのに。

 私は天才なので、苦手科目といってもテストの点は勉強しないでも取れる。ただただ、興味がなかった。「日本のどこにどんな産業があるのでしょう?」んなこと知って、何が楽しいと言うのか。「愛知県では自動車産業が盛んです」とか言われても「だから、何?」だし、「社会にはいろんな仕事で働いている人がいます」とか言われても「あ、ご苦労様です」としか思わない。そんな「社会」のことよりも、次巻のポケスペポケモンの漫画)の展開の方がはるかに気になるし、放課後マリオカートでの友達との勝敗の方が重要である。

 また、実生活の面でも、「社会」との関わりは少なめであった。両親がよそ者で、祭りに関心を持たなかったこともあり、地域の祭りにはほぼ参加せず、「地域社会との交流」はほぼ経験していない。せいぜいゴミ出しですれ違ったご近所さんに挨拶をしたり、近所の悪童と一輪車で暴走するくらいが「地域社会との交流」であった。

 というわけで、知識としても、生活体験としても、「社会」には何の興味も関心もなかった。社会(科)への無関心は母上の知るところでもあり、「6年生になったら歴史が始まる。社会が嫌い(!)なうちの子の成績が下がるのでは」などと心配されていた。そしてその心配を鮮やかに裏切った。

 にしても、なぜ「反社会」の私が「社会科」の歴史の何に惹かれたのであろうか。謎である。その謎を解明すべく、色々と思い出してアマゾンの奥地に旅立っていきたい。

 

 歴史は最初の縄文時代の授業からして面白かったが、それは「社会」というよりも「理科」に近い関心の持ち方だったと思う。縄文時代ホモサピエンスの生活は、「社会で生活を営む人間」としてではなく、「群れを作る生物の生存」として私の関心を引いたように思う。一番の関心事は「縄文人はどうやってイルカを狩ったのか」だったし、人間の歴史ではなく生物の生態として興味を持っていたのではないか。(余談ながら、現在の私も「先史時代」は歴史ではないと考えている)

 時代順で言えば、その次に印象に残っているのは聖徳太子である。そのころに聖徳太子学習漫画を読んだこともあって、漠然と聖徳太子が好きになった(今もそこそこ好き。これが俗に言う「太子信仰」というやつである適当)。にしても、冷静に考えれば、聖徳太子の何が面白いと言うのか。「日本社会に仏教を受容・定着させる端緒を開いた」「遣隋使を送って、大陸の進んだ文物を日本社会に持ち込んだ」ことが、反社会の私の心に響こうか? わからん。顔が好き、法隆寺を立てた、冠位十二階とか憲法を作って賢い……それがそんなにガキの心を引くのであろうか。わからん。

 武士が登場すると、もう少し分かりやすくなろうか。初見プレイで源平合戦の話を聞くと、殺されかけた敗者の頼朝が逆転勝利で平家を滅ぼすのはすごく面白いし、義経の天才的な作戦(授業で先生が見てきたように語った)はキッズの血液と贅肉を沸騰させた。この辺になると、物語として歴史を楽しんだり、英雄崇拝で歴史を消費していた、という分かりやすい話になるのかもしれん(ちょっと学問を齧った歴史オタクが一番馬鹿にしそうなやつ)が、どうなんだろうか。わからん。

 

 書いていて飽きてきたので、今日はこの辺で終わる。

「社会に関心がない」のに社会科の歴史に興味を持ったガキ。そこで知った歴史なるものは、政治や産業、経済生活、社会生活などの「社会」と密接なものである。結局、嫌いな「社会」に帰ってくる羽目になる。一方で、歴史に空想を馳せたガキは、これまた歴史の中の空想である思想や文学(「歴史」もその一つ!)などといったものを知るであろう。それらの空想の世界もまた、結局「社会」の産物であったり、「社会」に影響を与えたりするものであり、これまた「社会」に帰ってくる。これらは、反社の歴史オタクの自家撞着というべきものである。今後展開される自家撞着に乞うご期待!(というテンションで書き始めたが、オチのつけ方は未定であるし、思ったより長い旅になりそうである)(なお、ここでは「社会」を特に定義することなく雑に扱っているが、許してほしい。「厳密な意味で前近代に社会(Society)はない」「そもそも日本には世間はあっても社会はない」などと突っ込む無粋な奴はこんなクソ文を読まずに社会学の論文かアベキンのしょうもない本でも読んでくれ)