豚暦

豚に足跡なく月日あるのみ

クソガキの誕生 ブタ・ヒストリー(仮)

 男がするという自分がたりというものを、美少女の私もしようとおもって、するのである。

 

 小学3年生の頃の私にとって、歴史とはこの程度のものであった。

「歴史? ケーキの作り方とかのことですよね?」

 歴史とレシピを混同していたのである。

 まだ社会科で歴史を習っていないのだから、仕方ないと言えば仕方ない。それに、そのころ、歴史と何らかの関わりを持つこともなかった。戦国無双信長の野望といった歴史を扱ったゲームに触れることもなく(未だにプレイしたことがない)、歴史を扱ったドラマに親しむこともなかった。「新選組」という言葉を聞いたことはあったが、「新鮮な魚をさばいてそう」程度の認識(?)しかなかった。

 ところが、小学6年生になり、社会科で歴史を習うようになって、唐突に歴史への没入が始まった。その時の担任の先生は、厳しいながらも授業が上手かった。どの授業も面白く、全ての教科の成績が上がった。なかでも、その先生自身が歴史好きだったためもあってか、歴史の授業は抜群に面白かった。初回の縄文時代の授業の時点で面白く(中学、高校での先史時代の授業が死ぬほどつまらなかったのと対照的である)、家に帰ってからも資料集の該当ページを読み漁り、かつインターネットでイルカ狩の方法についてググり倒した。

 先史時代においてさえこれである。歴史時代に入って面白く感じないわけがない。聖徳太子源義経の話などは特に面白かったが、中でも白眉はやはり戦国時代であった。そのころには、授業の外ででも、歴史に関する情報を仕入れまくるようになっていた。好きな戦国武将についてググり、逸話をかき集めるのはもちろん、図書館にも通うようになった。元来、読書はさして好む所ではない。図書館とは縁遠い生活を送っていた人間が、俄かに親に図書館に連れていけとせがむようになったのである(図書館は校区外にあるので、一人で行くのは校則違反である。もっとも、道が分かるようになってからは校則を破りまくった)。学習漫画や児童向けの伝記(講談社火の鳥なんとか文庫や、「嵐の中の日本人シリーズ」など)を片っ端から読み漁り(但し興味のある時代に限る偏食である)、児童書の歴史の棚でネタ切れになれば、通常の歴史の棚にも突撃した。無邪気なクソガキの誕生である。

 

 中学生になって、新たに歴史小説を読むようになった。今まで図書館で素通りしていた小説の棚に、歴史人物の名前を冠した本が大量にあることに気づいたからである。新たなフロンティアを開拓したクソガキは、子供向け伝記の延長で歴史小説を読み漁り始めたのだ。さらに、ブックオフの文庫本コーナーに歴史小説があるのも発見し、そこに小遣いを蕩尽するようになった。特に、PHP文庫の歴史小説をかき集めた。戦国武将の名前を冠した小説であるため、見つけ出すのが容易であったからだ。今でこそ、マイナー武将の伝記が読み切れないほど大量に刊行されているが、当時はそうもいかない。ネットショッピングサイトで人名を検索すると、真っ先に出てくるのがそのような歴史小説だった。おおよそ中学時代は、著者が専門家か非専門家か、伝記か小説か、の違いは一切問わず、ただただ知識欲の赴くままに読み漁っていた。

 本を読むだけではない。言論活動(?)にも取り組み始めた。主戦場は、Yahoo知恵袋である。数ある歴史についてのしょうもない質問に対して、しょうもない史論をぶんなげて楽しんでいた。さらに、Yahooブログでも好き勝手な史論を書き散らした。「武田勝頼は俺様至上主義、北条氏政は北条氏至上主義、上杉景勝は謙信公至上主義である」といったような中学生並みの比較論を、自信満々に書いていたのである。知識が付き始めて賢くなったと思いあがっているクソガキの議論である。ろくでもない黒歴史以外の何物でもない。得られたものは、PCのタイピング能力くらいであろうが、主観的には非常に楽しいものであった。(なお、Yahooブログは2020年にサービスが終了し、黒歴史時代のブログ史料は湮滅している。Yahoo知恵袋の史料は探せば出てきてしまう)

 

 そろそろ書いていて面白くなくなってきたので、一旦この辺で擱筆しよう。気が向いたら高校以降についても書くかもしれない。知らんけど。レオポルト・フォン・知ランケど。