豚暦

豚に足跡なく月日あるのみ

戦国vsツンデレvsダークライ

 歴史オタクと言うのは実に不愉快な愚物が多い。

 

 いきなり差別かよと言うなかれ。いや、言ってもよろしい。導入に悪口を用いることを許し給え。

 史料の読めない(読めなくはない人もいるが)、研究者に非ざるのオタクは、歴史学者の排泄物を食べて、新たな排泄物を出してその彩を競うが如きものである。そのようなオタクは、初心者と言うよりは中級者であり、しかして初心者を馬鹿にする。

 その「初心者」とは何者がと言えば、史料や出典の何たるかを意識することもなく、歴史の面白い話や流れをあまた集めて楽しんでいる、他者に対する害意が相対的に少ない者たちであると言える。かかる「初心者」のすそ野が最も広い分野は、やはり戦国時代であろう。

 ここ数年で、南○朝時代や○町時代の人気が急上昇してその分野の「中級者」が跋扈しているが、その裏で戦国時代の人気は根強い。今や、戦国時代や戦国武将(有名からマイナーに至るまで)についての「中級者」向けの一般書も多く出されている。細分化した研究は、各地域武将のオタクたちのニッチな欲求を満たしつつある。一方で、「中級者」が蛇蝎の如く忌み嫌う「俗流歴史本」はもっと多く再生産され続けている。やはり、戦国の「初心者」人気は甚大なものがあると言えよう。

 オタクの通弊として、間口の広い、「初心者」が好きな有名どころはやや馬鹿にする傾向がある(その弊を自覚すると、ベタの凄さを改めて実感して回帰したりするのだが)。そして、戦国時代は、そのように馬鹿にされやすい分野である。マイナー武将とか「学問的意義」が大きいニッチ分野に非ざる、上○○信や武○○玄といった有名な戦国大名の政治史とかになればなおさらである。

 

 さて、自分のクソ話である。私は○○史学徒になりたての時、なんと戦国時代をやろうとしていた。しかも、有名どころの大名を主題に、である。当時の私の立ち位置は、害悪極まりない「中級者」のようなものだと思ってもらって差し支えはない。かかる害悪が、なぜベタに有名大名をやろうとしたのかについて、思い出したことを書いていきたい。

 そもそも、私は祖国の歴史がやりたくて大学に入ったわけではない。とりあえず文学部に入り、文学をやるか西○史をやるか○本史をやるかはゆっくり決める腹積もりであったが、頭が悪すぎて入試に失敗。滑り止めで入ったところは、出願時点で学科を決めておかねばならず、適当に○本史にしておいたのだ(いや、英語がダメダメなので万一西○史に行く羽目になって死んだらどうしよう……と恐れていたが故での選択であり、全くの適当ではないのだが)。

 「○本史専攻」という肩書は、それ自体がスティグマであったのである。忌々しきかな、○本史! もとより○本史よりも世界史の方が面白いと高校時代に開眼していた私は、腹立ち紛れにヨーロッパ史の本を読みまくった。もっとも、アンチ○本史といってもツンデレなので、その分野の本も結構読み漁ったのだが。べ、別に戦国時代なんて(ry

 入学時点で専攻が決まっているといっても、いきなり史料を読む授業があるわけではない(何のために入学時で専攻分けてるんだせっかくなら初手から専門教育施せやクソFら以下略)。1年次は語学と必修の教養科目が専らであり、2年時に若干の史料を読む科目があり、3年次にようやくゼミである。

 さて、やさぐれて外国史にかぶれていた私である。好きなゼミを選んでね♡

○○史:先生がなんか好ましくないしそこまで興味ないからパス。

○○史:知識量的には一番がここか。中学時代の趣味的にはここ一択。

近○史:思○史にだけは興味あるが、農村の史料とか読まされたらたまらないからパス。

近○史:こちらも知識量はあるつもりだし興味もあるが、古文漢文が読めない連中が大量流入してきそうでなんだかなぁだよねぇ。

はい、消去法。

組分け帽は少し迷った末に、愚リフィンドール!(○○史)と叫ぶのであった。

 

 いくら適当に選ぶといっても、志望理由書を出さねばならん。さぁ、適当に書くぞ!とて書く。そのためには、害悪オタクのオタク遍歴を想起せねばならぬ。

 我十有二にして戦国オタクになり、「初心者」の例に違わず、出典も史料も何も考えずに面白い話と知識をかき集めた。十有五にして、多少はまともな本も読むようになる(「初心者」から害悪「中級者」への飛躍)。特に印象に残ったのは光成準治氏の『関ケ原前夜 - 西軍大名たちの戦い』である。殊に上○氏や宇○多氏が、豊○政権下の大名となってから、配下の在地領主(かつての国衆など)や有力家臣を再編してある種の「集権化」を図っていく流れには感銘を受けたものだ(当時の読みである。本は今手元にない。間違っていても知らん)。

 中学から大学に飛び級していれば、幸せな○○史学徒になっていてもおかしくなさそう(母校では無理だろうが)だが、十有五を過ぎれば、関心は近代史に移って戦国時代から遠ざかり、十有八になっては世界史を愛好し始める。

 ヨーロッパ史において、特に興味を持ったのは、中○から○世に移行する時代である。強力だった諸侯や身分制議会はその盛威を衰退させ或いは変質させ、強化された君主権の下に再編されてゆく。変質した貴族層は、官僚や将校として、君主を支え、かつ自らの地位もそれによって新たなものとして盤石にする――。(これも当時の認識である。細部が間違っていると文句を垂れるなかれ。「歴史」と「認識の歴史」を混同するのは害悪オタクどもの通弊である)

 ここに於いて、厨房の趣味と大学坊主(長髪だったが)のお勉強が握手する。○世ヨーロッパにおける所謂「主権国家」の成立は、戦国大名の○世大名化への過程とある意味符合してはいないか!?(符合じゃなくて牽強付会だろう、という突っ込みは妥当であるし、あまりにも単線的で幼稚な歴史観であり万死に値すると言われれば返す言葉はない。が、国衆を包含する戦国大名領国と、中近世ヨーロッパの複合国家=礫岩国家を比較する視座は専門家も持っていたりはするので、100%の的外れではないと信ずる。尤も、「俺が考えた最強の○○」の域を出ていないのは言うまでもない)。

 そんな問題意識(?)を背景に、○○史ゼミへの志望理由書を適当に書きあげた。

 そして志望ゼミに入り、一瞬でやる気をなくす過程は前回のクソ記事で書いたから繰り返さぬ。ここでは、戦国時代というテーマを放棄するまでの流れを簡単に書こう。

 最初にやろうとしたのは、戦国大名の軍制であった。が、ゼミへのやる気を失うとともに実証史学そのものへの関心が完全に薄れ、興味は専門とは関係のない思○史に向かった。その流れで、もともと持っていた「比○史(笑)」への問題意識?は忘れて、家臣の大名への忠誠の思想とはどんなものかという、実証のやりようのなさそうなテーマで発表してお茶を濁せないかと考えた。そして『戦国遺文』『○○県史 史料編』とかの該当しそうなところを読みまくって史料の文言のデータを抽出・集計、その結果、「文言の違いによって、特に有意な偏りはない(あってもごくわずかで、どう考えても論文にはならない)」ことが判明。ゼミへのやる気が完全に失われたことも相俟って、(中間レポートと発表1回をもって)惜しげもなくこのテーマを捨て去り、戦国時代から撤退したのであった。

「二度とやらんわこんなクソゲー」とて戦国時代との縁を切ったつもりだが、面白そうな新刊を見つけるとついつい読んでしまうし、昔最も関心があった大名に関連する(安い)新刊が出ると、義務感で購ってしまう。要するにツンデレである。

 近々、義務感で買わないといけなさそうな新書が新刊で出ると聞いて、思い出したことをつらつら書いた。ブヒィ。